英米文学生のさんぽ

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カフカ『変身』見たくないものの中に

カフカ作『変身』を初めて読んだ時、ある日突然男性が毒虫になってしまったことに衝撃を受けました。その時は、人にはある日突然思いもよらぬことが起きるということを作者は伝えたかったのかなと考えました。(単純) ですが他にもいろんな解釈があるはずなので、いろいろ考えていきたいと思います。

男がある日突然毒虫になっている設定は滑稽で笑えますが、次第に家族から人間として見られなくなりぞんざいな扱いを受けている姿は次第に気の毒に思えてきます。


第1章から第3章にかけて細かなストーリーを確認していきます。

[変身のストーリー]

第1章
ある朝グレゴールは自宅のベッドで目を覚ますと無数の足と固い甲殻を背負った褐色の毒虫になっていることに気がついた。
意を決して毒虫になったグレゴールが部屋のドアをなんとか開けると、支配人は驚きと恐怖のあまり逃げだし、母親は金切り声をあげ、父親はステッキでグレゴールを無理やり部屋に押し返す。
第2章
グレゴールは元に戻ってくれるんじゃないかという祈りに似た希望を抱いている家族との生活が始まる。
17歳の妹は毎日食べ物を運び、部屋を掃除し、稼ぎ頭を失った一家の父親は金を工面するために努力し、息子の姿を直視することができない母親もなんとか状況受け入れようと毒虫グレゴールに気を使う。
しかし、部屋の壁や天井を這いずり回ることに快感を覚えるようになった彼の姿を見て母親は気絶してしまう。
父親はリンゴを毒虫グレゴールに投げつけ、彼は重傷を負う。
第3章
毒虫は1ヶ月以上負傷に苦しみながら、掃除されなくなった汚い部屋で放って置かれる。
食べ物も運ばれはするが、妹はただ作業的に適当な食べ物を差し出しては下げるの繰り返しをするだけだ。
金を工面するために空き部屋を3人の傲慢な男に間貸するも、妹のバイオリンの音色に惹かれて隠していた毒虫が部屋から姿をみせると、男たちは驚き怒り、金を払わないどころか請求すると家族に宣告する。
いよいよ家族にも限界が来て、毒虫は「家から出て行った方がいいアレ」扱いになり、存在の消滅を望まれるようになる。
次の日、お手伝いおばさんが部屋で毒虫が死んでいることを発見する。
毒虫の死体はおばさんによって片付けられ、数ヶ月ぶりに家族は3人で開放感と共に電車で外に出かけ、清々しい気持ちで未来を思い描く…

 

 


[見たくないものの中に]


主人公がなぜ虫になってしまったのか、どんな虫になってしまったのか、等はどうでもよくて、原作が出版された時も表紙にはカフカの意向で虫の絵は描かれていない。そこがポイントではないからだ。 

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ここで描かれているのは虫ではなく、見たくないものを目の当たりにした人間の姿であり、おそらくこれはグレゴールの家族ではないでしょうか。

家族は毒虫になったグレゴールを目の当たりし、辛く当たり続けます。
グレゴールは最後に死んでしまいますが家族たちはそんなことも気にせず数ヶ月ぶりに外に出かけ、開放的な生活を送るようになります。
しかし、彼らは毒虫はグレゴールであるということを忘れ、家計を支える大切な家族の一員を失ってしまった人たちと考えることもできます。
見たくないものを嫌い拒み続けた結果、大切なものを失った
これは私生活にも関係していることかなと思います。
中・高生の頃の私にとって見たくないものは数学で、何かと数学に対しては逃げ腰でした。けれど見たくなくても逃げずに立ち向かっていたら、将来の選択肢を狭めることにはならなかったと思います。苦手という気持ちが先立ち大切なことを忘れていました。

見たくないものの中になにか大切なものがあるかもしれない。『変身』を通して考えたことです。だいぶゆるゆるで自由な解釈ですが。

ですが見たくないものは、見たくない。そのなかの大切なことを見出す難しさもあります。

 

あとは、愛というものは必ずしも確かで永久的なものではないということも感じました。グレゴールは家族だったけど、毒虫になった途端に家族から辛く当たられ、人間として扱われなくなりました。そして最後に死んでしまいましたし…

家族の愛というのはどっかに飛んでいきました。

 

『変身』は、今まで読んだ本のなかでとても面白く、考えさせられることの多い作品でした。